- 池上彰氏大絶賛の名著、「君たちはどう生きるか」から学べる4つの視点を解説!
- 自分の人生と向き合う大切なポイントが分かる!
- 時代を超えて読み続けられる名著のエッセンスが分かる!
この記事では、歴史的な名著「君たちはどう生きるか」について、
そこから学べる人生で大切な4つの視点を解説しています。
この記事を読むことで、時代を超えて大切にされてきた考え方とは一体なになのかについて知ることができます。
みなさんこんにちは!
今日の記事では、
1937年に出版されて以来、
時代を超えて読み続けられる名著
「君たちはどう生きるか」
について、
そこから現代を生きる私たちが一体なにを学べるのか、
という観点から私なりに学んだ事を解説していきます。
この本は、
2018年に漫画化もされ、今でも本屋にいけば必ずと言って良いほど積まれている本ですので、
知っているであったり読んだ、という方も多いのではないかと思います。
この記事では、
ストーリ自体にはほぼ触れず、
そこから学べるメッセージを抽出して解説していきます。
是非最後までお楽しみください。
「君たちはどう生きるか」とは何を意味しているのか
この本のタイトルは、「君たちはどう生きるか」です。
そのタイトルだけを見ると、
何か具体的に生き方の指針であったり、
こうあるべきだといったようなメッセージが書かれているように思えますが、
そうではありません。
この本では、一貫して、まさに
「君たちはどう生きるか」
という疑問を投げかけていると言えます。
そこには、「どのように生きるか」という問いに関して、
明確な回答を求めようとする姿勢ではなく、
その問いに向き合う事自体への大切さが説かれています。
そのため、
この「君たちはどう生きるか」という本は、
読み手によってどのようにも解釈が可能であり、
そこから学ぶことも読み手によって大きく異なってくるでしょう。
その上で、
私は、この本を通じて、
「自分はどう生きるか」という問いと向き合うに当たって、4つの大切な視点を学びました。
この記事では、そんな人生と向き合うに当たっての大切な4つの視点を解説していきます。
人生と向き合うための4つの視点とは
その4つの視点とは
- 部分から全体を観れる視点を持つこと
- 真実とは何かを探求する視点を持つ事
- 社会の中で生きるとはどういう事かを感じる視点を持つ事
- 人生で直面する「過ち」「悩み」とは何かを理解する視点を持つ事
の4つです。
それでは1つずつ解説をしていきます。
①部分から全体を観れる視点を持つ
主人公のコペル君は、
化学の授業で学んだ、「分子は物質を構成する最小単位」という事から、
どんな物質もどんどん拡大していくと、
最終的には「分子」というものに行き着くという事を街の風景を眺めながら実感しました。
そこからコペル君は思考を発展させ、
人間も物質である以上、
どんどん拡大していくと、分子に行き着くわけであり、
どんな人間も分子の集合体に過ぎない。
そして、個人という1つの単位も、
物質を構成する最小単位の分子のように、
実は社会という大きな集合体を構成する1つの最小単位に過ぎないという視点を獲得しました。
このことは、
自分を世界の中心に据えたものの見方から、
社会全体の中の部分としての自分というものの見方への、
大きな転回であり、
まるで地球の周りを太陽が回っているとする天動説から、太陽の周りを地球が回っているとする地動説へと
世界の捉え方をシフトさせた「コペルニクス的転回」のようでした。
こういったエピソードがあり、主人公はコペル君と呼ばれるに至るわけですが、
私たち一人一人も、コペル君というあだ名が付けられても良いくらいに、
それまでのものの見方を大転回させて、もっと大きな視点を獲得できる思考の柔軟さを日々持ち続ける必要があります。
人間は大人になるにつれ、自分中心のものの見方から離れていくことが徐々にできるようになっていきますが、
それだけでは足りないわけです。
コペル君は、「分子は物質を構成する最小単位」という知識から、個人は社会を構成する最小単位であるという視点を獲得しました。
それと同じように、
どんな部分的な話であっても、その部分の本質を見極める視点を持てれば、
部分から全体に至る視点を獲得できます。
部分を部分として見るのではなく、
その部分的な話の核となり、また全体に共通する事実を見極められれば、
どんな些細なことであったとしても、
些細な事に過ぎないという事にとどまらず、
なにかしら世の中の核心部分を見出すことができます。
②真実とは何かを探求する視点を持つ
人間が集まって社会というものを作り、その中で一人一人が、自分の人生を背負って生きていく、
ということに、いったいどんな意味があるのか、
という事は誰にも分かりません。
ましてや、真実はコレだ、なんていうことは誰にも言えないわけであり、
真実、絶対、正義、という概念は、それ自体危うく幻に近いものです。
しかし、
だからと言って真実とは何かという探究心を放棄しても良いというわけではなく、
自分にとっての真実は一体なになのか、という視点を持とうとし続ける事が大切です。
本の中で、コペル君のおじさんは
「冷たい水は、飲んでみないと分からない。」
と言いました。
冷たい水は、それ自体では、その冷たさには真実はありません。
飲んでみた人がいて、その人が「冷たさ」というものを実感した時、はじめて冷たい水という真実が生まれます。
これと同じで、
「人間として世の中に生きる本当の意味」
などと呼べる客観的なものはそもそもなく、
自分が自分の人生を通じて、本当に人間らしく生きてみて、その過程の中で初めて、
「これが人生の本当の意味なんだなあ」
と、胸に感じ取るようにしないといけないわけです。
そのため、
誰かから見聞きしたことや、世間で一般的に言われている事をそのままに鵜呑みにしている限り、
なんらの「真実」も発見できないわけです。
ましてや、他人の目ばかりを気にして生きるのは、まさに自分にとっての真実の探求を放棄しているわけなのです。
真実とは何かを探求する視点というのは、
実際に、自分が見聞きして、触って、体験して、
心の底から感じた生の感覚を出発点に、
じゃあ「真実とは一体なになのか」という探求を始めねばならないという事なのです。
③社会の中で生きるとはどういう事かを感じる視点を持つ
コペル君は、家に置いてある「粉ミルク」の缶を見て、
その「粉ミルク」に関わるありとあらゆる人々の存在を思い浮かべました。
その粉ミルクは、オーストラリアの牛乳から作られているため、
目の前の「粉ミルク」の缶には、
国を超え、海外の牛から畜産に携わる人から、加工食品会社から、運搬会社から、小売店から、と
自分の手元に届くまでには、数えきれないほど多くの人が関わっているという事を想像しました。
物質を構成する分子のように、目では見えないけれども、確かにその「粉ミルク」の缶に関わってきた人は数え切れないほどいるわけであり、
そのことは、
日常生活の中で触れるありとあらゆるものに当てはまるという事を理解するに至りました。
コペル君は、この事を、
世界中の人々はまるで1人1人が、網目のように互いに細かく相互に関わり合っているという意味で、「人間分子の関係、網目の法則」と名付けましたが、
まさにその事は、私たちが社会の中で生きるとは一体どういうことなのか、
という事を端的に表現しています。
人間は、1人では決して生きていけない以上、社会の中で互いに支えあって生きていかないといけないわけですが、
社会が複雑になり過ぎたせいで、
数え切れないほど多くの人たちの営みの連鎖の中で今の自分の生活が成り立っているということを、
実感できなくなってしまっています。
しかし、
「自分はどう生きるか」という問いと向かい合うためには、
自分の人生は細かいところまで、実は数え切れない程に多くの人たちの営みの成果で成り立っているわけであり、
その事実を知る必要があります。
そして、また同時に、
自分もまたそうした社会の中で生きるという事は、
自分が社会の中で行うことが、巡り巡って何かしらの形で誰かの人生に影響を与えているという、
視点を持つ必要があるのです。
④人生で直面する「過ち」「悩み」とは何かを理解する視点を持つ
人間の人生は「過ち」と「悩み」に満ちていると言っても過言ではありません。
しかし、そもそも「過ち」とは一体なになのでしょうか。
そして、そもそも「悩み」とは一体なになのでしょうか。
コペル君は、友達が上級生に殴られるのを黙ってみているだけで、助けることができませんでした。
コペル君は、自分のしたことを「過ち」として悔やみ、苦しみました。
しかし、コペル君がその事を「過ち」であると認識し、苦しみ、悩んだことは、
裏を返せば、
コペル君という人間にとっての「真実」や「正しさ」というものが、一体どこにあるのか、
ということを結果的に指し示しています。
「過ち」を後悔する気持ち、悲しい事、つらいこと、苦しいことに出会うという事は、
裏を返せば、人間とはどういうものであるか、
という事を結果的に指し示してくれます。
「過ち」を後悔し苦しむ事、悩みを抱え苦しむ事、
そのような事は誰であっても人生を通じて避けることの出来ない事です。
しかし、それらは、人間だからこそ感じ取る事ができる感情です。
その事実は、裏を返せば、そうした感情にこそ、その人の人間らしさという「真実」が隠れているわけであり、
苦しみに埋没するのではなく、
その苦しみをもとに、自分にとっての「真実」とは何かを感じ取ろうとする視点を持つ事が大切なのです。
君たちはどう生きるかまとめ
以上いかがでしたか?
この記事では、
「君たちはどう生きるか」から学べる4つの大切な視点
という切り口から、解説をしてきました。
この本は、1937年に書かれたものですが、
当時から80年以上経つ今も、まったく色あせる事なく、
多くの大切なメッセージを込めているということに驚かされます。
最初に述べたように、
この本は、生き方の指針を提供するものではなく、
タイトル通り「君たちはどう生きるか」という問題提起をし、
肝心な部分は読み手が自分で考えるという事を促してくれる本です。
私はこの本から、
- 部分から全体を観れる視点を持つこと
- 真実とは何かを探求する視点を持つ事
- 社会の中で生きるとはどういう事かを感じる視点を持つ事
- 人生で直面する「過ち」「悩み」とは何かを理解する視点を持つ事
という4つの視点を持つことの大切さを本のメッセージとして解釈しましたが、
みなさんはどうでしょうか。
何か1つでもご参考になる点がございましたら幸いです。
また、当記事の内容は、動画でも解説をしておりますので、
復習も兼ねて是非ご覧下さい♪
最後までご愛読ありがとうございました。
参考文献:
吉野源三郎(2017)君たちはどう生きるか マガジンハウス