マインドフルネス講座最終回
マインドフルネス講座の最後の投稿です。
この一ヶ月、基本のエクササイズとして毎日10分間のマインドフルネス瞑想を実践して頂きましたが、今日の投稿ではその先に触れていきます。
これまで、
・マインドフルネスとは何か(第一回〜第四回)
・マインドフルネスでストレスを軽減する方法(第五回〜第七回)
・マインドフルネスで自分を変える方法(第八回〜)
という括りで投稿を続けてきましたが、今日のキーワードは、
「全体性」
です。
この全体性を感じることがマインドフルネスのゴールといってしまうと語弊がありますが、全体性を感じられるようになることはある種の境地であり、
それはマインドフルネスにもってもたらされる「癒し」を実感するということです。
といっても、「一体どういうこと?」といった感じですよね。
それについて今日の投稿では解説していきます。
「全体性」を理解することで物事の本質が見えるようになる
全体性とは、この後紹介するように体感するものであり、言葉で説明しうるものではありません。
ただ、ここでは文章でしか伝えることができませんので、あえてその輪郭部分を定義するならば、
全体性とは、自分自身が一つの全体であると共に、
自分自身もまた一つの全体の中の部分として調和しているという感覚
と言えます。
そして、結論を述べますと、この「全体性」はマインドフルネスの実践によって理解し体感できるものです。
それを理解するのは、一生の仕事とも言えますが、瞑想をはじめとするマインドフルネスの実践は、それを理解するためのファーストステップとなれるのです。
この「全体性」の視点を持てるようになることで、物事をありのままに、より明確に見ることができるようになります。
自分自身の勝手な思い込みや先入観に邪魔されることなく、問題の本質を捉え、客観的な判断が持てるようになるのです。
「全体性」を見失っているとどうなるのか?
全体性を見失うとは、物事の一面しか見ることができないということです。
それは例えば、
- 私の人生が
- 私の問題が
- 私の損害が
- 私の痛みが
というように、それだけが何よりも一番重要で、自分を中心に世界が回っているように思ってしまいます。
そのように、物事の一面しか見ることができず、自分を超えた1つの大きなシステム全体から物事を捉える意識がかけていると、
柔軟に別の見方をしてみたり、新しい捉え方を見つけてみたりすることができず、
自分の思考や感情ばかりの虜となり、それを受け入れるしかなくなってしまいます。
「全体性」の視野を持っていると、私たち人間を含むありとあらゆる生命体は、今この一瞬の中に生きていて、悲しみや悩みというのは「今」というごく一瞬の小さな出来事に過ぎず、全体性の中のごく一部の場所で一瞬生じたものに過ぎないと、自然に思うようになります。
しかし、「全体性」の視野を持っていないと、そうした悲しみや悩みといったことを過大に評価し、それしか見えなくなってしまいます。
真実は、それはごく一部・ごく一瞬の出来事であるのに、
あたかも、それこそが全てで永遠に続く出来事であるかのように錯覚してしまうのです。
マインドフルネスでどう「全体性」を実感するのか
マインドフルネスで「全体性」を実感するためには、
まず自分の体の動き一つ一つに注意を集中し、それらが連携をもって、ない的な結びつきを形成し、
「自分」という一つの全体を作り上げていることを意識することです。
例えば、それは毎日の10分間のマインドフルネス瞑想を通じても実感することが可能です。
私たちの肉体は何百億もの細胞から成り立っており、
それらの細胞が結びつき、脳、鼻、口、喉、肺、腹を作り上げ、
それ以外の様々な小器官を総動員しながら、1つ1つの呼吸という動作を紡ぎ出しています。
また、実はそれら何百億もの細胞、それ自体もまた1つの全体を作り上げているものです。
細胞という1つの全体が、繋がりを形成して、今度は肺という1つの全体を作り上げています。
そして、細胞によって作り上げられたそのほかの様々な組織や器官たちがそれぞれ連携と調和を作って呼吸という1つの動作を成立させています。
そうした細胞によって作り出される様々な全体、
そうした全体達が結びつきあって生み出される様々な動作(それ自体もまた動作として全体である)
それが、さらに大きな枠組みの中で1つの全体として成立している、それが「自分」です。
そういったことを、マインドフルネスの最中に意識するのです。
そして、話はそこに止まりません。
今度は、自分を含む、もっと大きな全体に目を向けるのです。
・自分<兄弟<親<親戚<祖先
・自分<友達<学校<社会<国<世界
・自分<人<生命<地球<宇宙
自分、それ自体が様々な全体の集合体であるだけじゃなく、
自分、それ自体もまた1つの個体として別の全体を構成作り上げているのです。
そこでの役割は、細胞が寄り集まって肺を作って呼吸という動作を生み出しているのと全く同じ構造です。
自分という全体もまた、他の全体性を構成し、「何か」を生み出しているのです。
そうして生み出された「何か」が互いに結びつき、そしてまたさらに大きな全体を作り上げている。
そうしたことを、マインドフルネスの実践の中で意識するのです。
全体性を理解し実感することは究極の「癒し」である
マインドフルネスの実践を通じて様々な悩みから解放される論拠として、
よく過去や未来に心が彷徨うのを防ぐことができるからというものがあります。
ありとあらゆる悩みや苦しみは、過去や未来に意識が向かう結果として生じているというわけです。
確かにその通りですが、それはマインドフルネスでもたらされる癒しの一部でしかありません。
マインドフルネスの実践の継続によって「全体性」の概念を掴み、
それを体感することができるようになれば、悩みからの解放を超え、癒しがもたらされます。
それは、マインドフルネスの概念の生みの親といっても過言ではないジョン・カバットジン博士の言葉です。
受け売りでありますが、確かにその通りであると私も思います。
自分という存在は、全てではなく、他の全体の一部でもあるという認識は、
時には脅威に思えてしまうかもしれません。それまで絶対視していた価値観が揺れてしまうかもしれないからです。
しかし、いざ全体性を認識してみれば、実際なそんなことないはずです。
全体性の認識によってもたらされる視野の変化は、新しい可能性への扉を開いてくれます。
視野の変化にともない、
・今まで受け入れ難かったことも自然と受け入れられるようになるでしょう。
・今までコントロールできないと思っていたことも、コントロールへの意思を手放すことで逆にコントロールできることが理解できるでしょう。
・今まで悲観的で悲しみしか見出せない状況にも、逆にそこは常に可能性に満ちており内的に安定できるということを分かるでしょう。
自分という存在は、なにもそれ自体として特別なものではなく、より大きな一部であるとの認識は、
だからこそ自分は、全体にとって特別な存在であり、同時に自分の素晴らしさや、人生の不思議さを感じ取れることにつながると思います。
まとめ
今日はかなり抽象的な話になってしまいましたが、ここまでマインドフルネス瞑想を実践されてきた方なら、ピンとくるものがあるのではないでしょうか。
さて、
マインドフルネスというのは、一つの生き方です。
それ自体として正しいも正しくないもありません。
マインドフルネスではなく、過去の事についてずっと考えたり、
はたまた未来の事についてずっと考えたり、
目の前のことではなく空想の世界に入り浸って生きていく。
それも一つの立派な生き方であり、マインドフルネスの生き方との間に優劣などは決してありません。
ただ、一つ確かに言えることは、
どのような生き方を選ぶかは自分次第ということです。
マインドフルネスを学ぶおすすめの本
マインドフルネス全10講座
【マインドフルネス講座①】マインドフルネス瞑想をはじめる方法
【マインドフルネス講座⑥】時間に追われるストレスに対処する方法
【マインドフルネス講座⑨】マインドフルネスで改善する性格パターン
現在の記事はここ→【マインドフルネス講座最終回】マインドフルネスで到達する「全体性」の意識とは?
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